チャンパの花香に慰められながら、石段を登る。たいした高さではないが、クメ−ルの例によって、段差が大きな階段は、崩れかけていても、登るに楽ではない。

後ろを振り向けば、山麓の緑の広がり。四つの池の中央に通る参道は門をくぐってメコンまで続いている。 これも又、クメ−ル世界の景観。山上から平たい無人の野を見下ろす経験は、私の眼に親しい。シェムリアブからタ−ケオまでクメ−ル大平原に残る山上の遺跡をたずねる者は、この景観をくりかえしくりかえし観るのだ。

ワット・プ−の本陣は木立の中。拝殿入り口に刻まれたアパサラ像は唇が厚くて、眼が丸い。このあたりに土着のクイ族の女たちに似ている。

拝殿の造営は十世紀から十一世紀前半とされている。その奥の主堂は矩形で、もとは七−八世紀の煉瓦積みの塔と考えられるが、今はどうみても十八世紀以前の作とは思えないラオ仏本尊がのんびりと治める空間である。

拝殿も主塔も、岩山を切り開いたテラスの上に建っている。建物を出た先の右奥は天然の石壁であるが、写真はそこに刻まれた三尊像である。

向かって左は、四つの顔を持つブラフマ−。二本の後手に蓮華と数珠を持ち、前の二本は合掌している。

向かって右の像は手にチャクラとこん棒を持っているからには、ヴィシュヌであろう。

立て膝で恭順の姿である。

多重のオジ−ヴ・ア−チの頂点に頭をつけて超然と下方を見下ろす中央の像は誰であろう。ブラフマ−、ヴィシュヌと消去法で行けば、シヴァ神しか残らないが、この神像には確か第三の眼はなかった。それに頭もまるで十一面観音である。冠形に結い上げた頭髪の根元に数珠らしき飾りが見えるのも仏教的である。

腰巻きの襞、ソ−セ−ジのように張った手足から観て、像はクレアン期に属する。

スリヤヴァルマン一世の時代である。この時代は面白いのだ。伝統が一端、途切れて様々な流れが顔を出している。

もう少し、眼を磨いたら、もっと他の遺跡も見たら、もう少しよく分かるようになるであろう。

歳を取るのも、眼を磨くと思えば、楽しくなる。

 レヌカ−・M




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