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「東南アジアの美の系譜の旅」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
趣意書 東南アジア伝統におけるクメール帝国の重要性 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「クメール帝国の美の系譜をたずねて(その1)」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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一口に言わせていただきますと、クメール帝国はまさに東南アジアの文化伝統の骨格です。20世紀初、フランスのジョルジュ・セデスは碑文読解により、古代東南アジアに広がっていた「インド化された世界」の豊かさを解いてくれましたが、中世のクメール帝国によるインド文明受容と伝承は以降の東南アジア文化伝統の骨格を形成しました。東南アジアに暮らし その実業界で生きる方たちをお客さまとして 旅をし 共に学ぶ 「レヌカーの旅」では もとから クメール帝国の遺跡をめぐる旅に力を入れてきましたが、コーヴィット禍を一つの契機として、その重要性は高まったように思えます。数々の制約がある中をやっとの思いで、旅仲間に出会い、話し、ともに美術品を観て、遺跡景観の中に身を置く「喜び」と「幸せ」はひとしおでした。確かでない明日を生きる力を与えられた思いを持った方は、私だけではないでしょう。クメール遺跡はそんな渇望に応じるデスティネーションとして、輝きを強めたように思えます。 コーヴィット禍中に怪我をし、一時は身体も弱り,気力も衰えたレヌカーでしたが、今は 立ち上がり 再び皆様と旅して 学ぼうという気力が湧いてまいりました。 「レヌカーの旅」では、これまで、クメール帝国の歴史を12世紀のアンコール・ワットを区切りとして、二つに分けて、話してまいりましたが、 今回はそれをもっと詳しく史実に沿い、3回に分けて学んでみたいと思います。 まずは「クメール帝国の美の系譜をたずねて」の第一回目を本年8月中旬に別記の要領で 施行したいと存じます。今回の目玉はコーケーとバンテァイシュレイの比較、踊るシヴァ神 登場としてのバンテアィシュレイとインド・エローラ第?石窟の比較は本邦初 と自負しております。 ご一緒にインド同地に旅した方々にも発言していただきたい思いです。航空賃が高い時期で申し訳ありませんが ご都合がつけば ぜひ ご参加いただき 応援していただきたいと存じます。 |
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