旅の報告  
 
4月のご挨拶
 
 開口一番・・・・暑いですね。今年の4月の挨拶で、これを言わないと うそになります。
50代のオーイも、こんな夏は初めて・・・道端の家なし犬がかわいそうと言って、いつでもやれるように水ビン携えてオートバイに乗っているし、60代のソムチャイも・・・・あのへそ曲がりがですよ・・・私が白といえば黒と応じる男がですよ、「こんな暑さは初めてだ」と認めるのです。ソンクラーンの旅からの帰り、メーソットへ直行した彼は ビルマ人労働者を運んで、すでに6回、バンコクへ往復したそうです。70代も末の私は、オフィスでオイと代わりばんこで犬の世話をして、書き物をがんばっているけれど、気をつけないと、知らないうちに眠っています。
 がんばって、ソンクラーンの旅の報告をしますね。

4月12日(金) 6時45分 あの二階建てバスにお客様5人に私とマキオ、ソムチャイの運転で
  ソイ16を出たのは 6時45分過ぎでした。一路南へ。35号線からパクトーで
  4号線に入り プラチュアブキリカンの美しい海辺で昼食をとりました。その後は
  曇り空を見ながら、チュンポン通過 クラ地峡に着いたのは、5時過ぎでした。地峡
  の看板の先にクラブリ川へ注ぐ川があり、橋がかかっています。その川べりに親切な
  おじいさんが娘や孫たちと住んでいて、「日本兵が来て、折り畳み舟を浮かべて
  ビルマへ渡って行った話を聞かせてくれます。その木製舟も潮が引いていれば、見える
  のです。今年はどうかな?4号線は増幅工事で、橋も新築中。車から降りて歩いてみた
  ものの、誰にも合えないかもと、思ったら、娘さんが出てきて、舟爺さんは今年の1月
  に大往生と知らせてくれました。お爺さんに渡すつもりであったレヌカー・シャツを
  さしあげて 冥福を祈りました。山本さん、飛田さんと並んでいる丸顔のおばさんです。
   
  クラブリーのター・ルア料理屋で夕食。ビルマのマングローブ蟹の蒸したのをいただき
  ましたが、硬い、硬い。ソンクラーン前夜の金曜日なのに お客は私たちだけ。風情は
  ありましたが、この次来たら、まだありますかね・・・というのが、皆の感想でした。
   
  その夜はラノンのティニー・ディー・ホテル泊 お坊さんの命名かしらとかんぐりたく
  名を持つホテルの前身はドシットタニ・ホテルでした。部屋は良かったです。水周りは
  少々問題ありでしたが。





4月13日(土) 朝はミャンマーのヴィクトリア・ポイントへ。渡り方はいろいろありますが、いろいろ
  試した私が好きなのは、サパーン・プラー(魚河岸)波止場からローカルの舟に乗って、
  行く方法です。いつもの言っても3年ぶりですが、エージェントのしきりで舟に乗り、
  彼地ではピックアップトラックで 見物してまわりました。今回初めて、昼食をヴィク
  トリア・ポイント内で食べました。言葉は分からなかったけれど、だまされずもせず、
  無事帰ってこれたので 次回は泊ろうかという話も出ています。イミグレは0・k・と
  言っていました。 タイに戻って、ホテルで小休止してから、国立公園の温泉にいきま
  した。100バーツも支払ったのに、5時について、5時半には、温泉を止められてし
  まいました。お金を支払うときには9時に閉まるといったのに・・・それでソムブーン
  で、プー・ニム(ソフト・シェル・クラブ)を食べて、帰ホテル。早く寝ました。





4月14日(日) もっと良い温泉があるはずだ・・・ラノンに来たからには 温泉をきわめたい!
  二人の「こういち」君の意見で ホテルに聞くと、一番新しい温泉はこのホテルが
  親湯近くに造ったものです・・・との答えが返ってきました。あの熱い 煮えくり
  かえっている親湯のそば? 半信半疑で クーポン券をもらい チェックアウトして
  から 急ぎました。結果は 写真をご覧ください。どちらにしても、テサバーンが管理
  する親湯の脇に 公的面積をけずって 私設の温泉場をつくってしまったティニーディ
  ーホテルの持ち主は、この町の21世紀の実力者なのでしょうね。ラウン川ほとりの
  鉄道から舟への荷卸し場 らしきものを見て、トンブリーから 運んできた機関車の
  前で記念撮影。シンガポールから来て、この列車に乗り、舟に乗り換えて、アンダマン
  海を遡り モールメインの病院に勤務した広島県からの日赤看護婦さんたちの手記を
  読んだことがあります。ここを通って、モールメインまで行って、肋膜になって、日本
  へ帰されて、原爆投下で亡くなった方もいました。皆で黙祷しました。工事をはばかって、
  長いけれど、確実なチュムポン経由41号線でスラタニーへ出ました。思いのほか 早く
  ついたので  予定を切り上げて 懐かしの「ラムプー」で 大牡蠣を食べるのを
  本日にしました! 1人2−3個食べました! 須田さんをのぞいて。






4月15日(火) 今日はチャイヤーのボロマタート仏塔とお寺を見て、プムリエンのに港町を歩き
  ポー岬 で中国からの荷がこぼれた昔をしのぶ予定です。それから、1941年12
  月8日未明の日本軍上陸の際の戦闘の跡をしのび スラタニー駅に駆けつけて 究極
  のローカル線で終点キリラットニコムまで行き ソムチャイに向かえに来てもらって
  スラートタニーのサーン・チャオ・市場通りを歩こうかと言う予定でしたが、帰りが
  遅かったので ホテルのビア・ホールに変更しました。
  行ってみて、ボロマタート仏塔の手入れの行き届いた様子に息を呑みました。シリ
  ヴィチャイ美術のチャイヤ国立博物館は火曜の定休日でしたが ボロマタート仏塔寺
  院でねばり耳の典雅な仏像が並ぶ様に感動しました。スコータイ様式、アユタヤー様
  式と違って、 近世にチャイヤー、ナコン・シータマラートを中心に栄えた仏教の礼
  拝像はなんともいえぬ愛らしさというか、人間らしさに満ちていてみて、並の人間を
  感動させる力を持っています。この仏さまを先頭に戦えば、必ず勝つというような力
  は発揮しないでしょうが、日常の愚痴悩みを聞いてくださるような優しさを感じまし
  た。昼食は白貝(ホーイ・カオ)とハマグリもどき(ホーイ・タラブ)の違いを論じ
  て、分からずに終わり。午後は日本軍上陸のタピー川市場波止場から軍隊のいなかっ
  たスラータニーでの「武器を持った市民」と日本軍の衝突点:旧県庁前まで ガイド
  の実況放送めいた解説つきで歩きました。旧県庁は日本軍駐屯時の出火と1982年
  のゲリラによる爆撃の二回の被害を受けた後、ラク・ムアン(都の柱)になり、県庁
  は現在の位置に移りました。
  「武器を持った市民」のうち、13.4名が犠牲になりましたが、中でも有名な
  ラムヨーン教師の記念碑をたずねて スラタニー高校へ行きました。ここでは、毎年
  12月8日に彼の行為を記念し、学生たちに彼の死の意味を教える式が行われます。
  ここでも、私たちは黙祷をしました。
  この日最後のイヴェントは究極のローカル線乗り込みです。私たちを朝から待って
  いた列車に乗り込んだのは4時過ぎでしたが、なぜか 待ち合わせで 出発はだいぶ
  遅れましたが、まだ陽のあるうちにキリラットニコムに着けて、ようございました。












4月16日(水) 朝6時半に出て、走りずめでしたが、ホワヒンでの昼食は3時間遅れの午後3時過ぎ。
  それがエムポリアムには定刻の8時について やれやれ。昼食の時間までの計算が
  甘かったのですね。帰りは同じ道で発展なしのご意見もありましたが、マレー半島の
  往復は4号線のみです。30年前のランド・ブリッジの話が進んでいれば タイ南部
  ももっと発展し、別の世界が開けていたかもしれませんが、深刻な環境破壊を起こし
  ていたかもしれません。
   
  まぁ、 無事に帰れてよかったです。参加者の皆様 お疲れさまでした。
レヌカー




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